映画ファンのための話題

映画史は、19世紀末にはじまっていると考えることができます。当時の映画はまだ、上映時間も短ければ、表現できる内容も非常に制限されていました。しかしどんどん映画史は進歩を繰り返し、1910年代に入ると、巨大なエンターテインメント産業として世界的に確立されます。1910年代と1920年代には、世界各国で、「映画スター」と呼ばれる人たちが急増しています。

 

この時代の特徴は、映画が「サイレント」であることです。テレビの衛星放送がはじまってから私もサイレント映画を見る機会を持つことができるようになりましたが、サイレント映画は名前にもあるように、音がない映画です。撮影するときに録音をする技術がなかった時代でした。この時代は映画史では、表現の方法がそれ以後とまったく違う時代として定義されています。

 

音がないので、当時の映画は伴奏音楽をつけて上映されていました。また、声を出すことができないので、出演者の台詞はいわゆる字幕ですべて表現していました。その制約もあって、当時のサイレント映画の台詞はなるべく簡潔にせざるを得ず、台詞に頼らない表現方法が多く用いられていました。

 

私もチャップリンの映画等は素晴らしい表現が盛り込まれていると感じています。この時代は外国のスターを使うことも簡単な時代でした。つまり、言葉の問題がないために、その国の言語をうまく話せない役者でも起用しやすかったのです。サイレント映画が今あれば、国際的な役者の交流も捗るかもしれないと想像することがときどき私にはあります。

映画史は100年以上の歴史を抱えていますが、この100年間は、世界的に見て女性の役割が大きく変化した時代でもあります。100年前と比べると、どこの国でも平均的に、女性が進出して活動している場は非常に多くなっています(私は某フォーラムに出席したときに世界の実情を詳しく学びました)。そして映画史も、その変化と無縁ではありません。

 

映画というものは、エンターテインメントの一種であり、演技活動を多く含んでいますから、女性の役割は最初から重要でした。つまり、女優の存在ですね。しかし最初のうち、女優以外の形で女性が映画産業に従事するケースは少数でした。

 

ただし、脚本を書くという作業では早くから女性が活躍しています。このほか、プロデューサーという立場であれば、女の人であってもかなり進出は早めでしたね……それはテレビ業界とも共通しています。

 

ただし、現場の第一責任者ともいえる監督業については、あまり女の人の進出は早かったとはいえません。私は子供の頃、なぜ女の人はあまり映画監督をやらないのだろうと思っていましたが、特に大きな理由はないようです。

 

ただ、男性スタッフを多数指揮するという立場上、女の人にその役割が回ってくるチャンスが少なかったのだと考えられます。しかしその状況もこの数十年で急速に変わってきました。私はたまに海外の映画祭に関する情報を昔の同僚からもらうことがありますが、最近の映画祭に参加する作品の監督は女性が担当しているケースがめっきり多くなってきています。

映画史は、スターの歴史でもあります。いわゆるドル箱俳優・ドル箱女優は、映画史がはじまるずっと前から世界各地にいましたね。舞台演劇(私はあまり見に行かないのですが)の世界でも人気のある役者は欠かせない存在でしたから。

 

映画の場合は、一ヶ所ではなく各地でいっせいに作品の上映が可能なため、スターというものの及ぼす影響が舞台のそれよりもずっと大きく、映画史のはじめから、映画というエンターテインメントの巨大化に大きく貢献する結果となりました。映画界におけるスターのシステムは、主にアメリカで確立されたといわれています。

 

1910年頃は、すでにハリウッドを中心とした映画産業はかなりの人気と収益をつくり出していました。しかし最初は、出演者の名前をはっきりとアピールしていなかったのです。

 

映画館に足を運ぶ観客たちは、よく顔を見かける俳優や女優、特に見た目のよい俳優や女優について暗記していましたし、その顔ぶれを見たいために映画館に通うようになっていたのですが、毎回ストーリーに合わせて名前が変わったり、あるいは一般的なアメリカ人の名前で呼ばれていたりと、それぞれの出演者をはっきりと認識する手段を持っていませんでした。

 

そこで、出演者の名前(芸名)をクレジットに出すようにして、観客にもっと親しんでもらおうとするシステムが登場したのです。これは画期的な出来事でした。このスターのシステムの確立は、もっと重視されてもいいプロモーション戦略だと私は解釈しています。

映画史の資料は、日本では特定の国に資料が偏っています。日本で公開される外国の映画が偏っているのですからそれは自然な結果ですが、特にアメリカ、その次にヨーロッパの映画史の資料が多いですね。私も、その他の地域の映画史を調べる必要ができたときは苦労しています。しかしアメリカの映画史については、簡単に資料を収集できます。

 

アメリカの映画産業は、1920年代にはもうすさまじいセールスを記録しているのですが、この時代はアカデミー賞という現在までずっと尊重されている賞がスタートした時期でもありました。

 

アカデミー賞は非常に成功した賞のため、世界各国で独自のアカデミー賞がつくられているくらいです。アカデミー賞の歴史を振り返るとわかるのは、はじまってから数年で、もうかなりのインパクトを及ぼす賞になっていたことです。

 

つまり、ハリウッドの映画人の間では、この賞をほしいと思う人たちが早くから多かったということですね。副次的な影響もたくさんあって、アカデミー賞にノミネートされると、それまで無名だった人でも、ギャラが高騰するという現象が起こることが常識になっています。私がずっと前好きだったテイタム・オニールも、ノミネートのおかげで子役ながら一気に何十万ドルものギャラを受け取れるようになったという逸話があります。

 

アカデミー賞は世界が注目する一大イベントになっていますから、授賞式は世界各国で放送されています。私も時間がある都市はなるべく見ることにしています。

映画史の大きなムーブメントといえば、既存の映画制作システムに対しての反発から起こっているパターンが目立ちますね。それは、どこの国や地域化に関係なく共通しています。世界の映画の中心地ともいえる、アメリカ映画もその例外ではなく、たとえば、「アメリカン・ニューシネマ」は、それまでの映画システム、あるいはそれまでのアメリカの社会システムに対する疑問が下敷きになっているといえますね。

 

アメリカン・ニューシネマの代表作と、それまでのアメリカ映画を対比させると、確かにかなり対照的なことがわかります。アメリカン・ニューシネマの代表作と呼ばれる「イージー・ライダー」や「俺たちに明日はない」は私も好きなのですが、1950年代までのアメリカ映画に多かったハッピーエンドの多い作品群とはまったく系統が異なります。

 

アメリカン・ニューシネマは、1960年代後半から1970年代前半にかけて、大揺れしていたアメリカ社会を反映しているのです。この時代のアメリカは、ベトナム戦争や学生紛争の時代に入っていましたから、戦後のアメリカ社会の体制が消えていく時代でもあったわけですね。

 

私はフランスのヌーヴェルヴァーグ等に通じるものがあると最初思いましたが、あとで、実際にヌーヴェルヴァーグの手法に影響を受けた監督が、アメリカン・ニューシネマの時代には何人もいたのだと教わりました。映画史におけるもうひとつのアメリカン・ニューシネマの特徴は、いわゆる美男美女ではないものの、ユニークな個性や演技力を持っている出演者が多くスターダムにのし上がったことです。私の夫が好きなダスティン・ホフマンやジャック・ニコルソンはこの時代に誕生したスターだと呼べます。

映画史は100年以上もの歴史を持っていますから、ときとして大きな変革を、それも「革命」と呼べるくらいの大きな変革を起こしたことも何度かありますね。その代表と呼べる動きが、フランスの「ヌーヴェルヴァーグ」でしょう。

 

「ヌーヴェルヴァーグ」とは、フランス語で「新しい波」という意味があります。ヌーヴェルヴァーグを解説する書籍は日本でもたくさん刊行されてきたのですが、私は資料が多すぎて最初どれを買うべきか迷ったものでした。

 

それもそのはずで、ヌーヴェルヴァーグは日本の映画界にも計り知れない影響を及ぼしているからです。少し前に亡くなった大島渚監督も、日本のヌーヴェルヴァーグの旗手だったという評価を与えられています(確かに、私も昔の大島監督の作品を上映会で見たとき、フランスのヌーヴェルヴァーグに通じるものを感じましたね)。

 

フランスで実際にこの変革が起こったのは1950年代後半から1960年代にかけてのことです。当時のフランス映画界の作品に多かった決まり事を取り払って、新しい独自の作品をつくり上げていったのが特徴ですね。

 

一連の作品に共通していることを並べますと、それまでのフランス映画と違って舞台出身ではない出演者が多く起用されている(私が好きなジャンヌ・モローのような例外も見られますが)点や、監督やスタッフの平均年齢が若く、斬新なスタイルを打ち出している点が特色といえますね。そして、既存のフランス映画よりも、様式的な要素を排してリアリスティックな演出を目指した点も顕著です。